2009年1月15日木曜日

ハドソン川の奇跡:US Airways flight 1549の墜落

 今日仕事帰りにこのニュースを聞いた。ノースキャロライナ行きUSエアウェイ1549便がハドソン川に墜落したという事だ。
 REFILE-NY divers, ferries plucked air passengers from river

本当に奇跡的に摂氏5度の中150人の乗客を含め、全員155人が無事救出され、15人ほどがまだ治療を受けていて、死傷者が今の所いない。少なくとも78人が救急の看護を受けた。原因は現在報道によると、離陸をしたすぐ後、ガチョウ(?)の様な大きい鳥がエンジンにつまり、エンジンが燃え、停止した様だ。墜落した場所は、48丁目あたり。10時39分現在は、バッテリーパークあたりに移動され、検証が行われている。
 本当、すごいのは、パイロットのCaptain Sullenberger。1970年代に米空軍に7年間勤め、United States Air Force Academyを卒業した大ベテラン。どうやってこの摩天楼の中を塗ってハドソン川に不時着陸(着水?)できたのだろう?ものすごい判断力と気力である。インタビューに応じた乗客が「ものすごい安定した着陸(着水?)だった」と言っていた。素早いフェリーと警察などの救済素早かった事と、機体が浸水しなかった(減債も完全に浸水していない)のも惨事を免れた理由。普段のニューヨークの警察の対応を見ている住人からすると「え?ニューヨーク市警がこんな早く対応したの?」と思えない事もないが、「やればできんじゃないの、、、なんで普段の対応は遅いの?」と、やっぱり思ってしまう。
 とにかく、奇跡的に全員救出されたのは、良かったこと。事故自体が起きてしまったのは、良くない事であるが、世の中、惨事のみまわれても救済の手が届くかもしれないという変な希望と、どんな苦境の中でもあきらめずに自分のできる事、人の助けになる事を実行する人達への尊敬が芽生えた。

2009年1月13日火曜日

Girls Night Out

昨日の夜は、ローワーイーストサイドにあるSchiller's Liquor Barで会社の女性人とお食事をした。ローワーイーストサイドはここ数年でおしゃれなレストランが増えてきて、昔のイーストビレッジの活気を思わせる地域。
仕事を終え、地下鉄で向かい、駅から2ブロック歩き、お店に着く。中には、先に仕事を終えたメンバーが先にハッピーアワーのドリンクを楽しんで待っていてくれた。お店の内装は、カジュアル、結構新しいレストランだけれども、昔のアメリカを思わせるタイル張りの床、高い天井、やわらかい暖色系の照明で、ほっとするような感じがする。
 サービスは、わりかしローキー。予約をしていたのでけれども、私達が着いてからテーブルのセットをしていた。すばらしい「うん」といえば、「かー」というような速敏なサービスではないが、のんびりながらちゃんとサービスをしてくれた。
 アペタイザー、アントレーともしつこくもないし、さっぱりとしすぎていないし、丁度いい味。アメリカだと、大味になりすぎていたり、しつこいほど味がつきすぎている店がある中、珍しいと思う。大好評は、デザート。バナナパフェやキャラメルのケーキなどが好評で、みんな幸せ満面の笑みを浮かべていた。
 とても心地のよい夜を楽しめてよかった。また、ふっらと行きたいお店だ。
  Schiller's Liquor Bar
131 Rivington Street
New York, NY 10002
212-260-4555
www.schillersny.com View Larger Map

2009年1月11日日曜日

 もうすぐで、アメリカに来てから19年になる。ずいぶんたった。
はじめは、マンハッタンの中のことしか知らずに、これがニューヨークだと思っていて、クイーンズ、ブルックリンなどはニューヨーカーが住む所ではないと信じていた。しばらく、ローワーイーストサイド、アッパーウエストサイド、グラマシーパーク、アッパーイーストサイドとマンハッタンのいろいろな所にルームメートとして、カップルとして住んでいた.。

 いつ頃だろう、イーストビレッジが高収入者の住居となり、SOHOから芸術家がいなくなり、タイムズスクエアがDisney Land になったのは。昔の旦那と別居することになったときと同じくらいだと思う。その頃には、マンハッタンのレントが高騰し、かなり高収入でないと、一人暮らしはできなくなってしまった。友人がクイーンズのアストリアに住んでいて、マンハッタンからかなり近いのに、レントが手頃で安全ということで、アストリアに引っ越すことを進めてくれた。友達の家を訪ねるついでに近所を歩いてみると、英語が聞こえない。その友達に聞くと、ギリシャからの移民が多く、その他に、バングラデッシュなどの南アジア、クレーシアなどの地中海の国々、エジプトなどからの北アフリカなどからの人たちが住んでいるとゆう。全くてんでばらばらの国、宗教の人達が何も問題もなく住んでる地域だった。こんないろいろ違う人たちが住んでる所だから日本人の私が住んでも大丈夫だろうと引っ越しを決めた。

 それから何回か引っ越しを繰り返したが、またアストリアに戻ってきて7年ぐらいになる。この頃は、近所を歩くと英語が多く聞こえてきて、見てみるとギリシャ人の若い子達がカフェなどで話している。2世のギリシャ系アメリカ人が成長してきたのである。英語を聞くたびに、ちらっとまた、誰が話しているのか見てみる。アラブ系に見える若い子達、ヒスパニック系に見える若い子達が町中で仲良く話している。ごく最近は、白人系アメリカ人もマンハッタンのレントが高くなりすぎたので引っ越してきた。日本人もずいぶんと多くなってきた。  この町もだんだんと変わっていっている。しゃれたレストランも増えてきて、にぎやかになってきた。居心地はさらによくなってきている気がする。これからこの町はどうなっていくのだろうか?